研究概要 |
本研究では,日本近代教育の発足期(幕末・明治期)における,外国教育とりわけ英国教育の発見と英国教育情報の導入経路をめぐって考察した。とくに英国教育情報の日本への導入の方途として,(1)お雇い英国人教師の招請(2)英国留学生の派遣,(3)使節団・調査団の英国視察,(4)学術文献の輸入・翻訳という4方途に注目してとりあげ,日本教育の近代化と自立化が果たされるさいの,日英間の交流と関係の諸相を分析した。 日英間の交流と関係といっても多面に及ぶため,本研究では考察対象を絞って,とくに日本・スコットランド間における技術教育・美術教育の側面について分析した。近代日本の発足期には富国強兵と殖産興業が目ざされ,英国が一大モデルと目されたが,実学人材の養成の面では英国のなかでもスコットランドとの関係が緊密であった。この日本とスコットランドの間にみられた技術移転と文化交換をめぐって,具体的に考察した。すなわち,(1)ヘンリー・ダイアーおよびR.H.ブラントンのお雇い英国人の招請,(2)南清・福沢三八・夏目漱石・竹鶴政孝の英国留学,(3)岩倉遣欧使節団の英国視察,(4)「ヘンリー・ダイアー関係図書」および経済学書,(5)河鍋暁斎による来日英国人への日本美術の指導,をめぐる考察である。 日英間には,このようにお雇い教師,留学生,使節団を介して緊密な人的交流がみられるが,そのうち,お雇い教師H.ダイアーは日本における技術教育体験を母国に持ち帰り,グラスゴウで新しい教育実践をなしたし,日本人絵師河鍋暁斎について日本画を学んだ来日英国人を介して日本美術が英国に紹介されたことが,とくに注目される。このような日本からの逆影響という研究視角は,英国以外の他の諸国との交流史研究にも示唆を与えることができるであろう。
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