研究概要 |
本研究は、1920年代から1930年代にかけて組織された「ドイツ母の日全国委員会」の活動を素材として、当時の家族及び家庭教育がどのように議論きれたのかを明らかにすることを目的としている。 この委員会は、1925年に創設された「民族の復興のための特別委員会」の下部組織として作られたものである。「民族の復興のための特別委員会」は、民間団体、地方自治体といった団体の他に有識者等個人参加も含まれた組織で、主な団体には、ドイツ福祉保護同盟、カトリック・プロテスタント・ユダヤの各宗教団体、禁酒団体、大家族全国同盟、性病撲滅協会といった様々な組織があった。ここでは,人口政策をはじめとして、市民道徳に関するさまざまな議論が展開された。その中で分科会の一つである「母の日全国委員会」は、1920年代はじめにアメリカから移入された母の日をドイツに定着させ、あるべき家族像、あるべき家庭教育の普及のための活動を行うことが期待されたものであった。本研究は、この活動に注目するものである。 この組織を通じて、家族への注目が喚起され、家庭教育の重要性が強調されたのであるが、さらに、この動きは学校教育を巻き込んで展開し、教員組合もまた母の日の普及をおこなう担い手として活躍した。 「母の日全国委員会」の上部組織である「民族の復興特別委員会」は、ナチスドイツに合流していく組織である。このような家庭教育が社会問題として論じられる議論を追うことで、のちの全体主義へ家庭教育が包摂されていく一つの過程が明らかになった。
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