1.1950年代から70年代の高校教育課程制度の変遷と実態を、文部省初等中等教育局『中等教育資料』等によって系統づけて明らかにした。また、同時期の大学制度の変遷について同省大学局『大学資料』等にもとづいて分析した。それによって、暫定的であるが以下のことが明らかになった。(1)この時期、高校教育、ついで大学教育の大衆化が進行したにもかかわらず、大学教育は高校教育の上に連続的に接続する構造にならなかったこと。(2)それが、大学生の学力水準などが問題にされなかった社会状況の中で、教育問題として重要視されなかったこと。(3)しかしその問題は潜在的に深刻化していたこと、などである。 2.次に、60年代から70年代の大学教育論と諸統計を分析する中で、当面以下の点を明らかにした。戦後の高等教育改革の必要条件として、大学院教育の充実と改善があげれられていたが、1950年代から70年代にかけて大学院教育を担当したのは、ほとんど戦前・戦中期に大学教育を受けてきた教授層であった。したがって、大学院教育の組織的な改善については冷淡・無関心であった。また、大学院の進学者が漸増したにもかかわらず、大学院進学率は増えなかったので、従来通り教育機関としての認識は高まらず、もっぱら研究機関とのみ認識されていた。80年代以降の大学院進学率の増加のなかで、大学院教育をめぐる混乱はこうした点を背景として起こった。 3.また、1950年代から70年代には、大学・大学院の社会人入学などはさほど問題にされなかった、すなわち生涯教育システムの一環として中等・高等教育は位置づけられていなかった。そのことが、社会と学校との遊離を維持し続けさせ、大学と大学院教育の上記の問題を顕在化させることを遅れさせていたと考えられる。
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