1988年9月に成立したミャンマーの国家法秩序回復評議会(1997年11月より国家平和発展評議会と改称)による「国民文化形成」政策は、1990年代に入って、周辺諸国との文化交流が活発となりボーダーレス化が進行する状況の中で具体化してきた。多民族国家ミャンマーの国民文化が、どのように選択され、保存され、あるいは創出されてくるかの過程について、平成11年度は、特に「ビルマ文化中心主義と地方文化・少数民族文化」のテーマに絞り、受け入れ機関である大学歴史研究センターの研究者の援助を得て、資料蓄積を行った。具体的には、1999年12月及び2000年3月にミャンマーを訪問し、非ビルマ族の中でも最多の人口を擁し、政治的にも文化的にもビルマ化の影響を受けてきたシャン族の文化的状況について、北部シャン州を中心にフィールドワークを実施した。その結果、次のような知見を得た。 シャン族は、政府のビルマ文化中心主義の脈絡においてマイノリティとしてのシャン文化の存続に危機感を抱いている。仏教、精霊信仰の宗教実践においてビルマ化が進行し、またビルマ語が唯一の公用語となっている言語状況の中でシャン文字の識字率の低下は否めない。この状況の中で90年代に入って政府公認でシャン文化保護運動が実体化しはじめている。換言すれば、政府による「国民文化形成」政策と、非ビルマ族の伝統文化保護活動の認容はほぼ同時進行的に行われているものである。これらの動向は、政府が少数民族対策に一定の自信を深めたことの表れと推測できるとともに、今後、民族間関係という「同化」と「異化」を内在した座標軸の中でどのように展開するかが注目される。
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