今年度は昨年度に引き続き、11年度におこなった広範な民俗調査の結果を受けて、調査地を2ヶ所に絞り、よりインテンシブな民俗調査をおこなった。とくに今回は、埼玉県三郷市(江戸川下流のデルタ地帯)と滋賀県栗東町(野洲川扇状地の条里地帯)という水利条件の異なる2稲作地に注目し、それぞれの地域における内水面漁撈と稲作活動との関係について、昭和初期に時間軸を設定して比較研究した。 その結果、第1点目として、稲作民が生業複合的におこなう内水面漁撈は、水利段階に対応し2つにパターン化できることが分かった。デルタ地帯のようにたえず大水の影響を受けてきた低湿な稲作地の場合、稲作民は大水により水田が漁場に転換するという発想を有し、そうした状況に適合した漁撈技術を発達させていること。そして、そうした地域においては、内水面漁撈が生計維持に占める割合は大きく、なかには稲作以上に貴重な現金収入源とするものも存在した。それに対して、条里地帯のように優れた水制御を成し遂げた用水灌漑稲作地においては、内水面漁撈は稲作に伴う規則的な水管理に対応するかたちで稲作活動の延長上におこなわれることが多い。また、漁撈の生計維持に占める割合はデルタ地帯に比べるとはるかに小さく、あくまで生計維持の基本は稲作にあるといえる。 結果の第2点目として、2稲作地とも水田用水系における漁撈は時に村人による共同漁の様相を呈し、その結果として稲作社会の紐帯を強めるという社会的意味合いを持つことが分かった。デルタ地帯に比べると生計維持上の重要性は低いが、条里地帯においてはそうした傾向が顕著で、内水面漁撈は村の神社祭祀と結合し、儀礼の一環として村人全員参加による漁撈活動が営まれる場合がある。高度な水利社会を維持する上で儀礼化した内水面漁撈は重要な意味をもっていたということができる。
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