平成11・12年度の2年にわたり、17世紀頃に近畿・北陸地方から北前船ルートにのって松前地へ広まった禊ぎの儀礼を含んだ水神の信仰形態の変容を明らかにするために、特に近世期以前から北海道南部の海、川、泉、池、沼、湖、井戸を祀る祭神を系統的に分類し、それぞれの祭祀形態について比較した。あわせて、アイヌ民族の口承文芸に認められるペットルン・カムイやワッカ・ウシ・カムイという川の神あるいは水の神についてもとりあげ、近世期における和人とアイヌの文化接触によって、祭祀が相互に影響を受けた可能性の有無についても検討した。 この結果、各祭神の祭祀起源を時系列に分けて北海道南部の水神をみると、治水や水害を防ぐための祭神が17世紀以前から祀られているのに対して、禊ぎの儀礼を含んだ祭神の多くはその後に祀られていることが明らかになった。次に、松前地へ伝播した禊ぎの儀礼を含んだ祭神は、北海道で伝承する過程において産育の神徳が高い神へと大きく変容した。これを産育の神として概括すればこの神は、人を育てるという神として崇拝されていたアイヌ民族の水神と共通するといえる。 しかしながら、それぞれの習俗について内容を比較すると、アイヌと和人における祭神には相互の関連はみられない。松前地の祭神は、あくまでも禊ぎの儀礼を基盤にしながら産育の利益が高まった祭祀形態を示していたのである。
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