思想史的な課題追求を課題としていた今年度の研究計画と、実際研究とは乖離がある。それは伊藤正敏氏の「境内都市」という議論に触れて、中世から近世にかけての日本の全体社会の変化に改めて関心を持ったからである。 中世の商工業者たちは神仏の保護下にあり、「神人・供御人・寄人」という形で存在していた。彼らは共同体のメンバーにとっては異人であった。しかし、彼らが山から降りて平野部の「寺内町」や「城下町」の住人となると、彼らには新しい共同体の形成者になる可能性が生まれた。ここに来世信仰が一向一揆などの形を採って燃え上がり、爆発する根拠があった。 一方これに対して信長は、この世に浄土としての「楽」を作り出そうとする「楽市楽座」政策を押し進めることにより、新しい社会秩序を形成しようとした。このことによって憂世から浮世へ、中性の仏教世界から近世の儒教世界への変化が引き起こされたのである。 ところで一方「楽市楽座」を初めとする織豊期の研究者たちの間で、長い間「免許」という言葉は「免除」の意味であるとの理解が通説となっている。その原因は小野晃嗣氏が「近世城下町の研究」の中で述べた「楽市は完全なる課税免除の市場なり」にある。しかし小野氏のこの議論は論証されたものと見ることはできない。確かにこの時期の「免許」と「免除」の言葉には意味において近いものがある。しかし小野氏の議論によって「免許」イコール「免除」という理解が一人歩きを始めてしまったのである。 小野説批判から始めて、信長の加納・金森・安土に対する「楽市令」、「寺内町」との比較、信長の都市政策と秀吉のそれとの比較をこれから直ちに始める予定である。
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