今年度当初に纏めた論文1「戦国期日本の貿易担当者」では、禅僧とイエズス会士が共に「身分的動機に基づく交易者」として、共通した役割を演じていたことを明らかにした。論文2「博多《唐坊》と蒙古襲来」では、鎌倉期の博多「唐坊」と聖福寺の関係を南蛮貿易時代長崎の「岬の教会」と対比することを試みた。これらの研究は、昨年度夢中になっていた「楽市楽座」見直しの問題と同様、思想の担い手たちの社会的な活動を問題とする点で、我々のテーマに付随する問題である。 論文3「バテレン追放令再考」において秀吉の神国論を取り上げ、続いて論文4「天正十九年インド副王宛て秀吉書簡の分析」では、日本中世仏教思想史の機軸をなす天台本覚思想の発展として「インド副王宛て書簡」の神国論の部分は理解できることを明らかにした。当該書簡中の「森羅万象不出一心」の文言は、これまで誰も正確には解釈してこなかったが、「森羅万象」即「一心」の考えは既に道元の『正法眼蔵』にもあり、「森羅万象山一心」の考えは天台本覚思想に基づくものである。 当時の日本の知識人たちがイエズス会士たちの布教するキリスト教に惹かれた最大の理由は「森羅万象」をデウスの「一心」によって説明する造化神の観念にあった。それ故この「インド副王宛て書簡」の神国論の部分にある「不出一心」の文言は、イエズス会士たちの云う「森羅万象山一心」に対する真っ向からの否定であり、キリシタンに対する思想的な対決を示しているのである。
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