ザビエル以来の日本イエズス会士たちは、「日本人は理性的で、キリスト教の正しさを理性に基づいて理解することのできる特別な国民だ」との認識を持っていた。このことはイスラム教やユダヤ教の影響下にない当時の日本が、キリスト教の創造神の観念を受け入れる可能性があったことを意味している。その理由として、先学の海老沢有道氏は当時の日本に存在した「天道」の観念を挙げたが、この他に白本の大乗仏教とキリスト教が「天国・地獄・霊魂不滅」等の観念を共有していた事実を挙げることが出来る。 しかし日本人は理性的だとは、スコラ哲学に基づく自然現象の説明による神の存在証明を当時の日本人たちが興味を持って受け入れたことを意味している。当時の日本側には天台本覚思想に基づき「国土草木悉皆成仏」が主張され、森羅万象に仏性が備わっているとの汎神論的な世界観が存在していた。これを基盤として、創造主宰神の観念は魅力的なものとして受け入れられた。特にイエズス会士たちの持っていた新プラトン主義に基づく流出論的な自然観は天台本覚思想の自然観や汎神論に近いものであった。 来世信仰を否定し、現世主義的な近世思想をはぐくむ中心的な世界が政治権力者のブレーン集団である「おとぎ衆」にあり、政治支配の現実に立脚するという立場から全ての思想は相対化され、創造主宰神の観念は否定されたのである。
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