この研究では、水利、地名、文書の3つの調査によって、南部荘の景観復元を行い、進行中の発掘調査を補助した。水利調査では、平野全体にわたる灌漑区分を明らかにして、条里地域のなかの条坪堺について試論を出した。また、地名調査においては、高田土居周辺のインターチェンジ予定地を中心に、失われていく通称地名を採取した。とくに、工場用地である「殿開」一帯に、中世にさかのぼる良田が存在していることが明らかになった。さらに、高野山文書の調査によって、南部荘に関する中世文書の写真版を発見し、その大半を翻刻した。また、棟札と石造物についても基礎的な調査を実施して、室町時代にさかのぼる惣掟を発見、全文を翻刻した。 以上のような調査によって、南部荘の開発が、南部川からの井堰灌漑部分(八丁田圃西側と「殿開」地区)、大井・古川水系による灌漑部分(八丁田圃東側と芝・吉田地区)とに区分され、高田土居は後者の開発と密接にかかわる施設の可能性が高いという結論を得た。 これからの課題は、未翻刻になっている中世帳簿について原本調査を行い、正確な刊本を作成・公開すること。その上で、帳簿に出現する地名を現地に当てはめるため、近世区有文書の再調査を実施し、通称地名についての聞き取り調査を徹底して行うことである。また、インターチェンジに絡んで多角的に行われている発掘調査についても情報を集約し、南部荘条里耕地の形成・拡大過程を歴史的に解明する観点から、批判的かつ総合的に検討していくものとする。
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