研究概要 |
近世の瀬戸内地域では,諸産業の発達と激しい人口増加のなかで収奪的な林野利用が展開し,段々畑が開かれるとともに白砂青松と呼ばれる景観がもたらされたといわれている。しかし当時の林野植生の状況が実際どうであったかということになるとほとんど明らかでない。本研究は,広島藩が領内村々に作成させた享保11年(1726)の山帳(御建山御留山野山腰林帳)を分析して当時の林野植生をまずは復元しようとするものである。 本年度は,平成11年度の安芸郡と賀茂郡40カ村分の山帳,平成12年度の豊田郡86カ村分の山帳のパソコンヘの入力に基づき引き続き分析を行った。両年度ともすでにその分析結果の一部は論文二つに分けて発表している。しかし,平成11・12年度の作業では,腰林の植生について村単位にその地域的特徴を対比することに重点をおいていた。したがって村内階層別に植生のあり方を分析する作業は平成11年度の安芸郡2カ村・賀茂郡5カ村にとどまっていた。本年度は,賀茂郡の残りの31カ村についての作業を進め,ようやく必要な整理を終えたところである。これによって腰林の植生のあり方を村の構造の中に位置づけたうえでその相違を改めて地域的背景において論じることが可能になる。また本年度は,これまでの研究成果を発表し,その内容を見直すことにも留意した。『瀬戸内諸島と海の道』掲載の「島の暮らしと景観」などの執筆,地方史研究協議会大会での報告「広島藩沿海部における林野の利用とその『植生』」もその一環である。後者については上記の作業にもとづいて引き続き論文としてまとめる予定である。
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