1 筑後国内の地域ネットワークのあり方を、高良大社の持つ市神の祭祀権から流通経済圏および信仰圏から考察した。ここでは筑後国内の5ヵ所ほどの市場で、高良大社の市神が勧請されていることが検証できた。さらに市神の勧請を通じて、信仰圏の広がりと流通経済圏の広がりが一致することも検証できた。また、中世から近世への移行期に、祭祀権は高良大社から戦国大名大友氏さらに久留米藩主へと変遷している。 2 戦国大名大友氏や龍造寺氏の戦時行動における海賊衆の活動を通じて、有明海およびここに注ぐ筑後川・矢部川などの船による交通が当時の物資流通にとって大変重要であり、これによって筑後と肥前の地域ネットワーク形成されていたことが検証できた。 3、肥前の松浦党の一族で国人領主の鶴田氏が、血縁結合から地縁結合への移行過程で形成した地域ネットワークについて考察した。松浦党は擬制的血縁結合を原理として一揆結合をむすんでいる。しかし、戦国期には一族内でも一体的行動がくずれてくる。また松浦党の一族伊万里氏は15世紀後半に肥前西部地域の国人領主と一揆を結んでいる。ここに戦国期の領主層が地域ネットワークを支配上に不可欠のものとしていたことがわかる。 以上、従来解明されていなかった、中世後期の北部九州の地域ネットワークのあり方を明らかにできた。
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