本研究成果の概要は以下である。 1.ハウトイン『自然誌』の近世日本での利用状況を「近世日本におけるハウトイン『自然詰』の利用」(明治大学図書館紀要『図書の譜』第6号、2002年3月29日)として発表した。 2.大垣藩医の江馬春齢の日記『東海紀行』(『藤渠漫筆』所収)に、江戸の本草学者たちとの交流が記録されており、赭鞭会に関する記事がみえる。『東海紀行』は洋学史学会年報『洋学』第10号(2002年3月10日刊)に翻刻した。 3.『東海紀行』にみえる馬場大助の植物写生図は東北大学狩野文庫にその写本3巻が所蔵され『蛮産聚英図説』のことと思われる。私は本書の第3帖『蛮産聚英図説木之部』(絹本、1折)原本を入手し、検討中である。 4.馬場大助の『遠西舶上画譜』10巻(東博)と『群英類聚図譜』78巻78冊(杏雨書屋)を閲覧、大助の西洋植物研究にっいて検討中である。 5.設楽妍芳の銅版画『蒲桃図』(1枚)は『蒲桃図説』の付図であるが、残存が少ないにもかかわらず3種の異版が存在することを確認した。なぜこのような異版ができたのかについては不明。 6.設楽浩斎図・設楽妍芳の解説文『[近海山異物図]』(1枚)を発見。これは設楽妍芳・浩斎父子の合作である。前稿で赭鞭会の写生担当者を幼時の岩瀬忠震としたのは誤りで、次男浩斎であると考えるようになった浩斎は当時名を知られた画家であった。
|