基礎作業としては、中世伊勢神宮史の詳細な年表を作成すべく、昨年度に引き続いて『大日本史料』及び『史料綜覧』から、伊勢神宮関連の綱文を選び出して年表を作成し、補足した。さらに、『鎌倉遺文』のなかから神宮関係文書の蒐集整理につとめ、ここでもまとまった事件や事柄と思われるものについては一部綱文化を試みた。『三重県史』資料編として既に中世関係の2冊が刊行されているが、それはまた神宮文庫及び神宮徴古館また同農業館が所蔵する文書を活字化したものであり、今回学界に初めて提供されたものも少なくないので、これについても一部綱文化の作業を進めた。 次に、伊勢神宮側で、20年に一度の遷宮の際に、次回以降の遷宮の参考に供する目的で、日記や日次記また関連文書を整理しつつ編纂された中世の各遷宮記に順次あたり、なかでも遷宮実務を直接担当した「作所」職の存在に注目し、分析検討を加えた。その結果、鎌倉期の場合であるが、内宮遷宮時の「内宮作所」に、意外にも、外宮祠官度会氏のなかからその職に補任されている複数の事例を得た。このことは、内宮遷宮行事が、内宮祠官荒木田氏だけではなしに、外宮祠官度会氏その他の全面的な協力のもと実施されたことを窺わせるものであって、従来からいわれているような、万事を内宮と外宮に分けて考え、また両宮祠官が対立関係にあったとする見方を覆すに足る十分な論拠となり得るものである。さらに、遷宮に際しての「祭主使」や「内宮使」にも、度会氏の補せられている事例を抽出、外宮祠官度会氏でありながら「内宮権禰宜」である人物の存在を確かめ、以上の見方を補強し、論文化した。
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