筆者は、中世伊勢神宮や伊勢神道を扱った従来の研究が、神宮の社会経済史ならそれのみを、また神道思想ならそれだけを取り上げて検討する傾向に疑問を感じ、中世伊勢神宮史を踏まえた上で、神宮及びその周辺のことを体系的に関連づけてみたい、と考えてきた。 このような視点に立って、3年間の研究期間中に、研究課題を遂行するために必要な基礎作業と、事実関係の確認を試みた。その概要としては、まず伊勢神宮史にとって重要な時期であった鎌倉初期の文治建久年間と、鎌倉中期の弘安年間を重点的に検証した。そして、それらの時に、神宮祠官が活発に仏者などと交流していることを明らかにし、伊勢神道史上において、重要な時期であったことを確認した。同時期は、また遷宮の点でも留意すべき時で、前者の時期には神宮作所が必ず置かれるようになったこと、後者の時には、鎌倉幕府に遷宮財源の一部の装束神寳用途の徴収を依存するようになっていること、などを明らかにした。初期伊勢神道書が文治建久の頃には成立していた確証は依然つかめていないが、可能性は高い。さらに、神宮作所の分析を通じて、内宮祠官と外宮祠官が対立していたとする通説を否定し、度会行忠がその作所職に就いていた意味を問うた。 また、神宮と鎌倉幕府や朝廷との関係についても考察を加えた。神宮祭主の補任状況や、遷宮時の役夫工上卿の補任またその家系などについても概観したが、意味づけはやや不十分であり、今後の課題として残った。 以上のような諸検討とともに、前期伊勢神道に関する研究史の整理を試み、あわせて中世伊勢神宮史略年表を作成した。
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