錦小路家の三河の取締り酒井家の史料を手紙を中心に解読を続けた。同家の眼科の門人村上忠順家の史料の整理を夏期に行い、確認作業を継続している。門人の一人水野俊斎家の文書の整理、目録化、マイクロフィルム化、写真版作製を行った。同人は小森家にも入門しており、領主旗本山口氏に従って長崎や日光に行っている。小森家の動きは知られていないので、今後の手懸りになろう。山崎文庫中の錦小路家文書、錦小路家に残っている文書、三崎家史料など写真版を作製した。学生の協力を得て行った三河の門人48人の調査を、『三河錦小路門人調査』(A4135項)として12月に刊行した。(これは研究者には提供する旨「地方史研究」に報知した)これには浅井定晁岩之充家、水野家の文書も収めた。48人は東方(西三河住人)31人、西方(東三河住人と遠州人2人)17人に分かれ、前者は酒井氏後者は浅井氏が統率した。この調査により、本人が分かった者19人、家が推測されたもの18人、多くは村や町の医師だが領主と関係のある者6人、錦小路家の許状などのある者7人、蘭放の医4人、寺関係3人、本人の学習系統の分る者8人、本人の前後の人物の学習などが分る者3人、俳句と関連のある者1人などのことが判明した。門人一覧に出てなくて、接触があったと思われる渥美半島の医16人についてもある程度分った。酒井家の手紙から錦小路家に出合している医が新たに3人分った。現在の豊田市や小厚村の住人だが千洗村(小厚村)加藤柳之は同地で四代目、奥深い山村まで早くから医者がいたことがうかかえた。なお10月21日地域知識シンポ(三好町)で報告を行った。
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