本研究は錦小路家を中心とする江戸時代における医家統制を対象としている。この問題はこれまで三河の例しか知られていない。三河では錦小路家の三河の取締酒井家を頭とする四八人の門人の名前が分かっている。但し二人は遠州の人物である。そこでまず三河の様子をより明らかにする必要があった。その一つは酒井家の文書を解明することであり、同家特に利亮宛の手紙を讀解し、「酒井家文書(四)地域知識人書簡(三)」としてまとめた。それまでに出した三冊と合わせ、錦小路家をはじめとする同家の交際はかなり明らかにされたといえよう。もう一つは四八人の門人一人一人をたどることである。これは学生の協力を得て一応の調査を行った。それに新たに出てきた吉田の浅井完晁・岩之丞と水野俊斎両家の文書を加えて「三河錦小路門人調査」にまとめて刊行した。三河の外では、より京都に近い地域に門人は早く広がったのではないかと考えているが、なかなか具体例に出会わなかった。しかし、北伊勢地域に幕末期に五名のまとまった入門があることが分かり、子孫宅を調査して「錦小路家門人の-形態-北伊勢地域の場合-」にまとめた。さらに目下、近江国甲賀郡と伊勢国一志郡の師弟関係のある錦小路家門人両家の子孫宅の調査を継続中でありまた新たな面を発掘しつつあり、遠からず史料紹介的なものを一本書けるかと思っている。国立公文書館にある錦小路家当主二人の日記の一部写真版を入手し、解読を計画している。錦小路家に対抗した小森家は江戸後期典薬頭を務めた家であり、力を有していたと考えられるが門人の掘り起こしは進んでいない。私のこの研究がきっかけとなって各地の事例が見出され医家統制の全容が明らかになることを期待している。
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