近代日本公娼制度解明のため、先ず第1に、西日本地域(中国-岡山、兵庫、四国-香川、徳島、九州-長崎、熊本、鹿児島の各県)を対象に、近世近代における芸娼妓・海外出稼人(からゆきさん、又は海外醜業婦と俗称)の発生過程及び存在形態に関する史料の収集と分析をおこなった。特に、地租改正実施をうけての明治10年代のインフレ・デフレの進行の中で、急激なる農民の土地喪失が進行し、多数の農民の小作人化・賃労働者化が創立されていったが、この過程で女性の芸娼妓化・海外出稼化がどのように発生していったかは不詳のところであり、この実証的成果を上げるべく努力した。第2に、明治初年の政府による人身売買禁止の措置後、府県レベルで遊郭公許地がいかに確定され、公娼制度がいかに成立・発展していくかは不明の点であり、また、軍事や交通の発展とも大きく関連しているので、実証的成果を上げるべく努力した。第3に廃娼運動については、キリスト教の布教と運動と関連しており、この点を史料的に明らかにすべく努力した。また、大正期に入ると、デモクラシーの高揚の中で、芸娼妓自身による自主的運動も展開するので、新開史料や労働年鑑によって端念に追跡した。第4に、昭和期にアジア地域の児童・婦女子保護のために活躍した国際連盟ションソン委員会の活動と、日本政府の対応、特に内務省-地域警察の動向に焦点を当てて収集、分析をおこなった。以上の1〜4を総括し、昭和31年(1956)の交娼制度の終焉に至る全過程を実証的に解明した。
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