研究概要 |
平成13年度は、同11・12両年度実施した近世越後の割地研究のあとをうけ、近現代を二期に分け、第一期は割地と地租改正を、第二期は割地と農地改革を、夫々中心にして検討を行った。なおこの間割地を続行したのは、現越路町大字岩野と大字釜ヶ島であったので、この両大字の割地について検討することとした。 第一期 地租改正は近代的土地所有権を確立することであったから、政府は地租改正によって割地を廃止しようとした。他方農民は信濃川の氾濫による農地の被害のある限り割地を存続しようとした。その意味で両大字における割地と地租改正の実施は、両者の攻めぎ合の問題でもあった。第一段階は農民が政府の土地政策に合せてゆく時代で、地券を発行しながら割地も実施した。第二段階は地租改正末期になり、農民は両者に矛盾を感じ、明治17年10月釜ヶ島地主一同は盟約書を作成し、割地の続行を決定した。続いて釜ヶ島の土地を村(土地所有者)共有とし、農地改革直前まで割地を続行した。 第二期 農地改革は耕作者(小作)を土地所有者(地主)にすることであったが両大字の農民は、農地改革より割地の続行を選択した。その理由は、(1)昭和19,20の両年信濃川の氾濫に見舞れた、(2)地主が割地存続でまとまった、(3)長期間の割地慣行により、所有地と用益地が複雑に分割されていた、などによった。そして大字釜ヶ島では昭和21年、大字岩野では同23年夫々共有地組合をつくり割地を存続した。しかし昭和30年代後半から農地法をとりまく農村の変化と信濃川の築提工事の完成によてt、昭和43年両大字では遅れた農地改革が実施され、江戸初期以降存続した割地は廃止された。
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