本研究は、まず各地域の墨書土器の具体的様相を明らかにし、さらにその共通性と差異から、古代・中世の在地・地域社会における文化伝播のありようを考えようとしたものである。 北部九州では3世紀以後に線刻やヘラ書で文字が書かれたものが散見するが、これは朝鮮半島からの直接の影響によるものであろう。一方南九州の墨書土器の始まりは8世紀であり、律令国家制度の広がりと同時である。ピークは大分・熊本以北で8-9世紀、宮崎・鹿児島は9-10世紀で、南はやや遅れる。またピーク時の書記部位は、宮崎・鹿児島では体部外面が多いが、大分・福岡・佐賀では底部外面が圧倒的である。そして大分・熊本以南では土師器が多く、以北では須恵器が多い。 関東地方の出土量は九州よりはるかに多い。これまでのところ最多の千葉県では、出現は8世紀、ピークは9世紀前期で、須恵器より土師器が多い。また書記部位の主流が、8世紀には底部外面であったものが9世紀に体部外面へと変化する地域とそうでない地域がある。 東北地方は、古代には南九州と同じく辺境地域であるが、墨書土器の出土量ははるかに多く、関東地方との文化的関係が考えられる。出現は東北南部で8世紀、北部で9世紀であり、律令国家の支配の進展と一致する。また平泉では12世紀後期の墨書土器に、宮崎県における中世の墨書土器と通じる様相がみられた。東北地方のなかでも岩手県の変遷の様相には宮崎県との類似性がうかがえることなどから、墨書土器文化の伝播とその地域的差異が宮都・畿内を中心におおよそ同心円状に広がっている可能性が考えられる。
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