前年度の報告に間に合わなかったが、2000年3月17-18日、ストラスブール大学で開催された「アフガニスタン考古学国際会議」(Z.Tarzi教授主宰)に招聘され、Re-examining the finds at the Basawal Cavesの題目で研究発表した。会議に出席のA.D.H.Bivar教授(ロンドン)、A.Santoro教授(ローマ)と面識を得、またアフガニスタンのギリシア人都市遺跡アイ・ハヌムの発掘に従事し、大月氏・クシャン王朝の土器を研究しているB.Lyonnete女史(フランス)らと討論、研究情報の交換をすることができた。 2000年7月1-2日、第7回ヘレニズム・イスラーム考古学研究会(金沢大学)に出席し、「アイ・ハヌムの滅亡年代-中国史料による考察」の題目で研究発表した。研究会にはアイ・ハヌム発掘調査隊長のP.Bernard教授(フランス学士院)が参加しており、アイ・ハヌムの滅亡と遊牧民大月氏との関係、さらにクシャン王朝の勃興について長時間議論することができた。アイ・ハヌムがB.C.145年頃、大月氏の侵入によって滅亡させられたという点では共通の理解が得られた。 2000年12月21日-2001年1月5日の約2週間、インドを旅行し、博物館に所蔵されるクシャン王朝時代の美術考古学資料を調査した。とりわけ今回初めて訪れる機会をもったパンジャーブ州チャンディガル博物館には分離独立のさい(1947年)、現パキスタン、ラホール博物館からインド側に分与された611点のガンダーラ彫刻が所蔵されており、伝ラーニガート出土品をはじめ主要な彫刻約120点を写真撮影することができた。またウッタル・プラーデーシュ州のサヘート・マヘート遺跡(舎衛城と祇園精舎)も今回初めての訪問であり、最近の関西大学調査隊の発掘地区ほか、クシャン王朝の遺構を見学し、研究の裏付けを多く得ることができた。
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