2000年12月、インド、カルカッタ博物館を訪れたさい、館長のChakravarti氏から日本で展覧中の中国四川省出土の「阿育(アショカ)王像」について質問を受けた。私は「阿育王像」と刻文されているが、アショカ王の肖像ではなく、正しくはアショカ王が制作させたブッダの像、つまり「阿育王造像」と解釈すべきであり、日本側で作成したカタログの解説は誤りであると説明した。その内容を発表したものが、「四川省成都出土の阿育王像」である。2001年11月3日、東洋史研究会大会(京大会館)において「バーミアーン石窟と弥勒菩薩」の演題で研究発表し、同年11月10日に「バーミアーン壁画に描かれた民族衣裳」(奈良とシルクロードの語り部たち、奈良県新公会堂)の演題で講演し、それらをあわせて一論文として発表した。その中で、2001年3月に爆破されたバーミアーン大仏の天井壁画にブドウ葉形の古典的唐草文様が描かれていたこと、ガンダーラ彫刻の唐草文様と比較して、それが西暦400年頃の様式であり、したがってバーミアーン大仏の建立年代がそれと同時期、つまりキダーラ・クシャン王朝時代であることを論証した。 参加予定であった第16回南アジア考古学国際学会(パリ、2001年7月)については、やむを得ない事情でキャンセルをせざるをえなかった。それにかえて、9月下旬にアメリカ合衆国のシカゴ、カンザス・シティ、サンフランシスコの大学、博物館を訪問し、未見のガンダーラ彫刻について多数資料収集することができた。今年度は研究計画の最終年度にあたり、3月末に研究成果の一部を報告書にまとめて出版する。
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