研究概要 |
北辺における多元社会の形成の焦点をなす遼東地区について,1610年代以降の最重要資料である熊廷弼の奏議・書簡類を,明代刊本にもとづいて整理する作業をすすめた。目録をデータベース化するとともに,明代刊本の画像をスキャンし,Hyper Text Mark-up Languageをもちいて目録と画像とのあいだにリンク付けをおこなって,当該資料のオンライン化を試みた。 遼東における「馬市」制度の形成と変遷についての資料を収集した。これを分析した結果,遼東におけるモンゴル・ジュシェン諸集団と明朝との関係は,おおむね辺境交易の利害を軸として変動していたことが明かとなった。貢敕制度による交易の規制と特権の分与は,覇縻政策によって地域の安定化をはかる明当局にとって重要な手段であり,モンゴル・ジュシェン諸集団相互の勢力関係も,対明交易にどのようにかかわり,そこからいかに大きな利益を上げるかという点によって左右されていた。 また遼東における漢地と夷地との経済的交流の拡大は,遼東にも「板升」すなわちモンゴルやジュシェンの支配化のもと農耕などに従事する漢人の集落を生みだした。やがてヌルハチのもと,ジュルチン・モンゴル・漢人の三重帝国として発展していった満洲集団には、海の上の南倭=倭冠とおなじく、言語や種疾を乗りこえて形成されたマージナルマンの姿がつよく表れている。中心と辺縁とのあいだを動いた銀と商品、辺境の経済ブームのなかに生じた武装-商業集団の活動。この二つの事態が、十六世紀の半ばからおよそ百年にわたる東アジア全域の動乱と再編の底流をなしていたと評価することが可能である。
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