上海における19世紀末から20世紀初頭にかけての外国貿易の膨張と、それを契機とする国内商工業の発達は郷紳たちを経済活動に引き付ける一方で、商人たちの社会的地位の上昇をもたらした。この結果、上海のような大都市においては、紳商と称されるような人々が一つの階層を形成するようになり、彼らは同業団体の指導者として活動するとともに、地方政治へ関与するようになった。 彼ら紳商たちは、上海社会に浸透した欧米の異文化に同調する一方で、地方の行政や財政への関与を深めていった。20世紀に入って、清朝は立憲政体の採用を決定し行政制度改革に乗り出した。行政制度改革は中央のみならず、地方においても進められたが、なかでも重要な課題となったのは合議的行政組織の編成と議会組織の導入であった。省政をめぐる議会組織として導入が試みられたのが諮議局であるが、この諮議局の設置方針が提示されると、上海の紳商たちは議員の選挙規則等の制定に積極的に関与した。上海城廂内外総工程局の設置によってすでに市政の運営を担っていた紳商たちは、さらに省政への制度的参与を追求し始めたのであるが、このことは地方官僚との摩擦の要因にもなった。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、地方財政の税源として重要であり、商工業とも関連が深かったのが釐金である。この釐金については、とくに上海を含む江蘇省では清末から同業の商人による請負徴収が事実上広がっていた。中華民国の成立以後、省政府は徴税コスト削減と安定した徴収への期待から請負徴収制度(認捐制度)を積極的に拡充していったが、この制度は納税額の削減という摩擦要因としても作用することになった。
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