上海社会は開港を契機として変動しはじめ、その後も国際・国内貿易の膨張、繊維等の軽工業の発展、銭荘と銀行による金融の拡大等に多大な影響を受け続けた。そこで第一に明らかにしようとした課題は、こうした経済発展を基盤とする「紳商」たちの都市の主体としての成長であり、彼らの地方政治への参与である。20世紀初頭には、「紳商」たちは華界市政の主体として活動し始めたが、彼らはさらに省政に関心を示し、当時設置の計画が進められていた諮議局の章程制定に参画した。最終的には実現しなかったとはいえ、彼らは諮議局章程案の起草を通して、省政をめぐる立法機関のみならず、行政機関においても優位に立とうとしたのである。 第二に明らかにしようとした課題は、徴税をめぐる中央政府と上海商人との拮抗関係である。釐金の徴収は実態的には同業商人たちによる請負納税に依存していた。とりわけ上海では、清末以来、「認捐」と称される請負納税が盛んに行われていた。中華民国が成立すると、中央政府では釐金の直接徴税を実現しようと試み始めた。しかしこの都市社会を直接掌握しようとする北京政府の試みは、やがて放棄されることになった。その理由は、徴税コストに見合った税収入が確保できないことに加えて、租界の中国商人への課税が困難だったことにあった。 第三に明らかにしようとした課題は、社会構造の変動を基盤とする都市ナショナリズムの形成である。経済の発展にともなって、上海では商工業者や「紳商」、それに若い知識人たちが出現したほか、就業機会を求める人口が江北から大量に流入するようになった。この膨張する都市住民の社会意識や政治意識に強い影響を与えたのが、新聞である。中華人民共和国の成立前夜、米ソ対立と国民党と共産党の競合という国内外の政治的緊張の中で、都市上海ではマスメディアを媒介とするナショナリズムが高揚した。
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