本研究は最近注目されてきた清朝時代のモンゴルを舞台にした漢人商人、いわゆる旅蒙商の活動に焦点をあて、彼らがこの時代どのような交易活動を行ってきたのか、あるいは露清の政治的関係が種々変化する中で、この地域の貿易がどのような影響を受け、またそれによってどのような事態が生じたのか、その他について検討を加えた。本研究の遂行にあたっては関連する資料の収集につとめ、平成11年度、12年度には中国内蒙古自治区のフフホトを訪問し、内蒙古図書館、内蒙古大学などで文献調査と複写を行った。この間日本国内のいくつかの研究機関で文献調査を行い資料の収集を行った。これと並行して本研究のテーマに沿って各資料の講読、分析を行った。モンゴル域内の交易は綏遠城の建設により一層発展していくが、その綏遠城の建設の経緯について詳細に記されている軍機處録副奏折(乾隆元年4月13日)の記事を紹介した。また露清貿易の拠点であったキャフタの市場が清朝側の意向で数回閉鎖されたが、このため幾つか大きな問題が生じた。例えば乾隆50-56年の第2次閉鎖においては、大黄の不正輸出問題が大きな事件としてクローズアップされている。この間清朝当局によって摘発された大黄は膨大な量にのぼり、如何に多くの大黄がこの時期中国からロシアに輸出されていたかが分かる。また嘉慶年間前半期、阿拉善塩が不正に内地で販売されている事実が発覚した。これは清朝が内蒙古産の塩に対して優遇措置を講じていたのを、山西商人を介して行ったものであるが、厳しく取り締まることによって終焉した。また20世紀初頭の庫倫で活動していた北京商人、山西商人の商号の名簿を分析し、他の資料ともつきあわせてその実体について若干論じた。また旅蒙商の衰退については『綏遠通志稿』その他を利用してその重要な原因について解明した。
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