春秋時代における手工業者の動態を調べ、その基本的状況と時代的変化を考察することを本年度の研究目標とした。中国古代の社会分業は所謂「士農工商」で構成され、その「工」についての記述は『左伝』にあっては桓公二年に「士有隷子弟、庶人工商各有分親」、同哀公十四年に「士有朋友、庶人(=農)工商」等とあるほか、『国語』「斉語」に「處士農工商若何、・・・處工就官府、・・・令夫工群萃而州處」、同「周語」に「大夫士日恪位著、以敬其官、庶人工商各守其業」等の概括的説明史料があるが、これらのうち「工」が手工業者を示すことは明確であり、殊に此の『国語』「斉語」のほか同「晋語」に「士食田、庶人食力、工商食官」とあることから、「工」に官人を示す用例のある証左となりうる。「工」が楽人を示す用例としては『左伝』襄公四年に「工歌文王之三」とあって、注に「工」は「楽正」とある史料等が挙げられる。『左伝』襄公十四年の「百工献芸」も同じく楽人の状況を示すものと考えられよう。また『左伝』昭公二十二年の「百工・・・作乱」、同哀公十七年の「匠氏攻公」、同二十五年の「三匠」に起因する反乱等、政治に関与する手工業者層の存在を知ることができる。そしてこれらが春秋時代の後期に現れていることを考え合わせると、続く戦国時代への序曲的状況が呈示されている史料として捉えることができよう。叙上の如く春秋時代の分業社会において「工」は政治的にも重要な位置を占める状況を呈しており、またその形態も多様であったことを窺えるに至るものである。
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