中国古代における社会分業の考察を進めるにあたって、先秦時代の文献に頻出する概念として、「士農工商」の区分が挙げられるが、このうち、士・農・商についてはすでに小論あるいは草稿として纏めてきた。 社会分業の研究の総論として、中国と日本の「士農工商」の様相の相違について論及する。日本での「士農工商」の淵源は中国の文献に求められるものであり、春秋時代の史料とされる『國語』には「士農工商」の表記が見られる。ところが先秦時代の他史料を渉検すると、「士農工商」の相対的位置は不一定であることが知られる。即ち、『春秋穀梁傳』(成1)では「士-商-農-工」と記されているのである。これは『春秋左氏傳』でも同様に様々な表記として現われる。主要事例として(宣12)「商農工賈」、(襄9)「其士競於教、其庶人於農穡、商工皀隷不知遷業」に見られる士-農-商-工、(襄14)「士有朋友、庶人工商」の士-農-工-商、(桓2)「庶人工商、各有分親」の農-工-商、(哀2)「士田十萬、庶人工商遂」の士-農-工-商の如く概見される。注視すべきは『國語』中の「士農工商」に関する各論の部分であり、当所では士-工-商-農の順次で論述されているのである。ところが略同内容の記述を再論した『管子』では各論も士-農-工-商の順次である。更に『史記』・『漢書』では士-農-工-商が大概を占めており、春秋後期から士農工商の社会的固定化が進んだものと考えられる。
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