3篇の小論の概略を記する。第1篇は「春秋期における農と庶人-四民分業の一端として-」であり本稿の概要は以下の如くである。春秋時代及び周代においては、庶人は農耕者を示す場合もあり、商工業者を含むこともあったが、殊に特徴的なことは在官者も庶人と称されていたことである。庶人の中には在官者と非在官者があったことになる。これに対して戦国期以降では庶人には在官者を含む用例はなくなり、農工商など単に平民を示す用法となる。即ち、春秋期には農耕者層が「農」のほか、「庶人」とも称され、その一方で庶人は役人に仕官した者が含まれることもあったことが窺える。 第2篇の「左伝商義釈例-商と賈をめぐって-」では、資料的基盤研究とした。本稿では中国古代の「士農工商」の身分構成に関し、「商」の用例について、『左伝』の史料を通して分析し、併せて商業行為を示す「賈」と比較検討した。両手は国名・人名等の用法では共通だが、商業関係については、「商」は商業、「賈」は此等に加えて、価格、売買及び派生的抽象概念をもつ。商を行商、賈を店売とする旧来の解釈は、『左伝』では適合せず、商と賈は等しく商業行為一般を示すと解すべきである。但し「商農工賈」の一文については、商と賈に商業規模の相違を想定する必要がある。尚、戦国時代以降に多出する「商賈」の語は『左伝』には見られず、商と賈が大略同意味を持ちながら別記されるのが『左伝』の通例である。 第3篇の「中国古代における士農工商の形成」では、「士農工商」の序列は『左伝』ではまだ不一定であり、『国語』(斉語)で初めて「士農工商」の用語が現れたのであり、春秋・戦国時代を経過する中で形成されていったことが察せられ、『史記』『漢書』では「士農工商」の順序が定着したものとして用いられていることが判明される。
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