研究概要 |
先秦楚国の都城である丹陽と郵都の位置を歴史地理学的に確定した,一昨年度・昨年度の研究成果をふまえて,本年度はまず次のような研究を実施した.(1)春秋戦国時代の楚系青銅器と竹帛史料の銘文・図案を収集整理し,そのなかから楚国歴史地理研究に有用な情報を抽出して,自説を補強する手段とした。(2)先秦秦漢時代における江漢地区の地勢を,とくに河川の流路を中心に復元した.(3)西周末〜春秋中期の楚国の政治動向と,漢水西部における当該時代の考古学的文化様相を照合し,楚国の形成過程とその構造の背景にある南方諸民族の様相を考察した.ついで,(1)〜(3)の研究成果と,一昨年度・昨年度の研究成果を総合し,次の内容による研究報告の粗稿を作成した。-1.楚郢都の始建と沿革:(1)文献史料にみられる郢都の始建と沿革,(2)楚皇城説・季家湖楚城説の考古学的背景,(3)紀南城考古知見の再検討.2.戦国出土文字史料と楚国歴史地理:(1)鄂君啓節舟節地名,(2)包山楚簡受期簡釈地,(3)春秋楚地新釈,3.丹陽位置問題の決着:(1)北方説の考古学的背景,(2)丹陽〓帰説と三峡地区考古知見,(3)丹陽から郢都へ.4.補論(先秦楚国の形成と構造及びその展開).-本研究の結論は,西周時代の都城丹陽を三峡〓帰に,春秋初〜戦国中期(前278年)およそ五百年間の都城郢都を江陵紀南城にあてるものであり,いわゆる南方説を支持したものである.また,そこからは楚国形成の過程とは,湖北省西部-三峡荊州地区に拠った一集団が,漢水西部地域を政治的に統合していく過程に他ならないとの想定が,必然的に導き出された.以上の研究成果は,研究成果報告書においてその大部分を公表する予定であり,また,出土新史料による補訂をへて,「楚国形成史の研究-歴史地理的考察-」と題した書冊でもって全容を公開したいと考えている.
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