中国イスラーム近代主義はイスラーム改革・復興の流れの中で、20世紀の前半世紀において隆盛を極めた。当時、さまざまな旧帝国の領域をそのまま新共和国の主権領域に組みなおす過程において、さまざまなエスニック集団を新国家の国民として再編しなおすためにさまざまな努力が払われていた。そして、イスラーム教老教を報ずる回エスニック集団の指導的階層が主体となって回という集団を「国民」となるべく、さらには「国家の中で政治的権力をもつ集団」ととなるべく遂行したのがこの運動であった。清初に完成された老教の神学の真髄は存在一性論である。それによると唯一神アッラーへの服従と体制への服従を同一視することにより、中国のムスリムは現世における存在を保障されることになる。中国イスラーム近代主義は、体制への服従をあらたに誕生した民国に向けるという神学的再解釈を宗教指導者アホンが行い、知識人が中心となって社会制度変革や意識改革を行い、回民軍閥がその安全保障を行うという複合的ながら一体の運動として伸展した。それは、回というエスニシティと中国国民としてのナショナルな意識が重層化しながらも顕在化したということをも意味した。彼らの運動が、同時に大きなナショナリズム運動として進展したのはこのためである。彼らは、中近東において当時有名であったハディース、「愛国は信仰の一部分」を利用し、その愛国主義運動を加速させた。中国共産党の支配地域であった陝甘寧辺区において施行され、のちに中国少数民族政策の基礎となった民族区域自治という理論すらも、中国イスラーム近代主義の理論をくんで組み立てられた。「多元にして統一した構造」をもつとされる現代中国の中華民族論の礎を作ったのはイスラーム近代主義であるということがいえる。
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