本研究は、中国における「回族」というエスニシティに注目し、民国時代における「回」近代知識人がいかに自らのエスニシティを近代中国国家という枠組みの中で合致する方向に改造を志し、なおかつ国民統合の方向を自発的に模索していったかについて論考した。得られた知見は以下の通りである。第一に、中華人民共和国の憲法前文における「統一された多民族国家」という国家形態、また中国人民をそのエスニシティにかかわらずすべて「中華民族」とよぶ民族論は、その重要なルーツの一つを民国時代のイスラーム改革派に持つということ。第二に、中国イスラーム改革派は中東のイスラーム復興のナショナリズムと近代主義の多大な影響を受けており、その意味で、中国はイスラーム復興運動東漸の最前線であったということ。インドネシアがその東端であるというのが学界の定説が覆された。特に、「愛国は信仰の一部分」という中東で広く本物と信じられたハディースは、中国で「愛国愛教」言説を形成し、国家の方針と宗教的エスニシティの合致点をもたらしたこと。第四に、抗日戦争において、日本の対回工作に対抗する根拠として用いられたのが、防衛ジハード論であり、これにより、日本の大陸分断工作は失敗を余儀なくされたということ。第五に、権威的知識人によるエスニシティ形成理論は、中国独自の民族理論、区域自治論に合流した。しかし、この理論は国境内に囲い込まれたエスニシティの自立問題解決に無力であること。最後に、西北において隆盛を極めている現代中国のイスラーム復興運動は思想的ルーツを民国時代のイスラーム復興にもつということである。イスラーム思想は現在も施政政党の監視・指導下にあり、イスラーム原理主義勢力の入り込む余地が少ないことも明らかになった。
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