本研究の目的は、第1にオスマン朝勃興期における西北アナトリア諸都市の政治的及び経済的状況を明らかにすることであり、第2に、その成果を踏まえて西北アナトリア諸都市と初期オスマン朝政権の関わりの実相を、政治的側面及び経済的側面から解明することである。これらの目的を達成するために、一昨年度、昨年度の成果を踏まえつつ次のように研究を行なった。なお、今年度は考察対象期間を16世紀に、また対象地域もアナトリア半島一帯に拡大し、より広い視野から問題を考察しようと試みた。 1.基礎作業 (1)アナトリア諸都市関係文献(オスマン朝以前及び以後)を調査し、重要と思われるものを入手した。 (2)オスマン朝政権関係文献(オスマン朝年代記及びオスマン語文書、ヨーロッパ人の旅行記・在留報告等)を調査し、重要と思われるものを入手した。 (3)上の文献の内容を分析・検討しコンピューター・データ化した。特に今年度は16世紀前半に成立した『キターブ・バフリェ』に見られる都市関係の叙述を分析した。 2.考察 1.の基礎作業を踏まえ、16世紀にいたるアナトリア諸都市の政治的経済的状況の検討を行なった。初期オスマン朝史に深く関わるアナトリア都市としてはソユト、ブルサなどの内陸都市が重要であることは既に過年度の研究において確認されているが、今年度行なった『キターブ・バフリェ』の分析を通じて、エーゲ海や地中海にのぞむアナトリア半島沿岸諸都市もまたオスマン朝政権の成立・発展に重要な役割を果たしていることを確認できた。
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