本年度の研究は、中華民国時期の農村土地行政の立案過程に焦点をあて、とりわけ、これと日本との関わりを通時的に分析した。同時期の農村土地行政の基軸となる土地・地税制度の近代化は、国家-地域社会間関係を大きく組み替える意義をもつが、中国においてその全国的な実現を目指した試みは、中華民国時期の前期にあたる北京政府時期(1912〜28年)に設置された経界局の事業が最初であった。この経界局の事業には、多くの日本留学経験者が関与し、明治日本の地租改正および日本が植民地統治の一環として台湾・朝鮮などで実施した土地調査・地租改正事業が参照されていた。本年度の研究では、こうした日本との関わりを中心に、同事業の立案から挫折に至るまでを詳細に明らかにした。なお、こうした作業を可能にしたのは、本年度に実施した上海史料調査において入手した文献類である。国民政府時期(1928〜49年)になると、土地・地税制度の近代化がようやく進展するが、北京政府時期とは対照的に、日本との関わりはむしろ希薄になっていく。国民政府の土地行政の立案者たちが日本の土地行政に強い関心を示さざるを得ない状況は、日中戦争の終結直後に訪れる。このとき、国民政府は日本が統治していた台湾や旧「満州国」を接収する課題に直面し、そうした地域でかつて日本が実施した土地調査・地租改正事業の成果と改めて向き合わねばならなくなったからである。また、彼らは、自らの土地改革の早期実施を意識した切迫した実践的関心にもとづいて、戦後日本の農地改革の行方やその問題点についても注視していた。本年度の研究では、こうした国民政府の動向についても光をあてた。以上のような本年度の作業によって、本研究の全体をまとめあげる準備がほぼ整ったと考えられる。なお、本年度の研究は、「中華民国時期の土地行政と日本」と題する論文にまとめた(「11.研究発表」欄を参照)。
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