本研究の目的は、従来、研究代表者が推し進めてきた中国国民政府による農村土地行政の実態分析を踏まえつつ、その分析を中華民国時期(1912〜1949年)全体に押し広げるとともに、その作業を通じて、同時期の国家-地域(農村)社会間関係の構造と動態を明らかにすることにあった。その成果の概要と意義は、冊子体の「研究成果報告書」、とりわけその第1章において詳細に提示した。ここでは、その大筋のみをごく簡略化して要約しておく。すなわち、(1)最後の王朝国家から引き継いだ民国期の国家による農村社会の掌握は極めて粗放・脆弱であり、とりわけ、その土地把握・地税徴奴は「胥吏依存型」ないしは「胥吏請負型」とも呼ぶべき特質を持ち、清末民初には根本的に是正すべき旧弊として意識されるようになった。(2)その改善を目指した事業が土地・地税制度の近代化であり、その事業は北京政府時期において先駆的に試みられるが、事業規模の巨大さや北京政府の政治権力としての未熟さのために挫折を余儀なくされた。(3)北京政府を打倒した国民政府は、北京政府とは異なった方式で改めてこの事業に着手し、政府内部の対立や地域社会との摩擦などの曲折を伴いながらも、日中戦争前にはいくつかの地域において一定の成果をあげつつあった。それは、伝統的な農村統治の構造から脱却し、国家-地域(農村)社会間関係を近代国家に適合した形に組み替える努力にほかならなかった。(4)ところが、日中戦争は、このような意義をもった事業の進展を大きく阻害・歪曲したのであり、戦後の国民政府は事業の再開を目指してはいたが、戦争がもたらした負の遺産を解消するに至らないまま、大陸における政権の座を失った。
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