1 イタリア移民と移民受け入れ社会との文化摩擦を比較史的に考察する素材として研究実施計画に記した三つの事例のうち、1891年にアメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズで起きたイタリア移民リンチ事件と1893年にフランス南東部で起きたエグモルト事件の二つの事例を中心に、前者については新聞などの出版物、後者についてはイタリア外務省文書館、フランス国立古文書館、シャラント県古文書館などに所蔵の非刊行文書をそれぞれ史料として収集し、それをもとに分析を進めた。 2 分析の結果、ニューオーリンズ・リンチ事件に関しては以下の諸点が明らかになった。(1)ニューオーリンズのイタリア移民の圧倒的多数を占めるシチリア出身者が中心となって設立した相互扶助会の分析を通じて、移民社会の指導者たちがリソルジメントの記憶とイタリア統一王国に強い愛着を感じていたこと。(2)在地社会の白人たちは、「マフィア」という元来シチリア人移民社会内部で用いられていた言葉を自らの言語の中に採り入れることによって、シチリア移民=犯罪者というイメージを植え付け、シチリア移民の排斥を正当化したこと。(3)戦間期になるとシチリア移民の戦略の変化と在地の白人社会の態度の変化があいまって、シチリア移民は在地の白人社会に統合され「白人化」すること。 3 また、エグモルト事件については以下の諸点が明らかになった。(1)エグモルトの塩田で季節労働を行ったイタリア移民は基本的にイタリア北中部諸州の出身者であるが、トスカーナ出身者がグループとしての紐帯が強かったのに対して、ピエモンテ出身者たちは個人的に行動する性格が強かったこと。(2)イタリア移民と衝突したフランス人労働者も、季節労働者としてエグモルトに到来した「外部者」であったこと。(3)イタリア移民もフランス移民も、衝突の際には「フランス万歳」や「イタリア万歳」といったナショナリスティックな言辞を用いたこと。(3)「外部者」のフランス人労働者にとって、イタリア人労働者排斥はナショナリズムの発露であると同時に、労働の搾取に対する民衆蜂起の側面も持っていたこと。 4 二つの事例の比較から、以下の諸点が明らかになった。(1)1890年代にイタリア人移民の一部にはイタリア国家に対するアイデンティティ、ナショナリズムが当初予想されたよりも強く存在していること。(2)クリスピという政治家がナショナリズムの象徴として意識されていたこと。(3)アメリカ合衆国、フランスいずれも、1890年代がイタリア移民にとって最も排斥の危機に直面した時期であり、第一次世界大戦後になると在地社会への統合が次第に進むこと。 5 比較の対象として挙げた三つの事例のうち、1920年代に起きたサッコ=ヴァンゼッティ事件については、イタリア移民=犯罪者(ないし秩序紊乱者)というイメージが、第一次世界大戦直後においても流布していたことなどを明かにした。とはいえ、時間の都合で他の二つの事例と比較すると十分な研究を行うことができなかった。イタリア移民史から見たサッコ=ヴァンゼッティ事件の本格的な解明については、また後日を期すことにしたい。
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