本研究は、地中海を内海とする広大な領土を有したローマ帝国の本質を、「中核」地域のイタリアではなく、「辺境」と位置づけられる2つの属州の調査を通じて再考し、新たな帝国像を提示するための基礎とすることを試みたものであった。3年間の研究期間中、対象とした2属州、ブリタンニアとゲルマニアについて、文献史料の不足を補う必須の材料たる出土物と遺跡の調査をおこなうため、3度渡欧した。そして、数多くの遺跡や博物館などで実地調査することができた。調査に当たっては、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学、そしてハイデルベルク大学のスタッフだけではなく、イギリスのリンカーン市のように、現地の考古学協会のスタッフにも力添えをいただくことが出来、史料の直接的な理解が可能となったことが有り難かった。わが国のローマ史研究者がこれまで誰一人として本格的な属州史研究をなしえなかったのは、この現地における十分な実地調査や地元の専門家から協力と知見を得る作業をなしえなかったからであり、研究体制の点で、本研究はわが国学界にとって画期的な一歩を進めたと自負している。 さらに、属州ブリタンニアの研究から、ローマ帝国と大英帝国の密な関係を発見し、ローマ時代のブリテン島の理解が、研究史上イギリスの植民地政策、とくにインド支配と関連してなされてきたことを明らかにしえた点も成果であった。属州ゲルマニアの研究もこれと比較する形で学説史検討をおこない、そこから19世紀後半以降のイギリスとドイツの国家や民族、そして思潮の差も認識することが出来た。こうして、本研究により、ローマ帝国が「中核」地域の高度な文化を「ローマ化」することで征服地に広めていったという従来の一般的な理解も、イギリスを中心とする大国の歴史的発展の中から出来上がったものであったことを確認しえた。
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