研究概要 |
コミンテルン・アムステルダム・サブビューロー(1919年11月〜1920年5月)の総合的研究への第一歩として、同サブビューローの第一次史料の編集・刊行をめざしての研究を、以下のように進めた。 1.同サブビューローが1920年2月に開催した国際社会主義会議の議事録のオランダ語および英語の各版を照合・校訂したうえで、パソコン入力をほぼ終えた。 2.引き続き、同サブビューローが各国左派社会主義者らへ配送し続けたリーフレット類の編集作業を進めている。 3.平行して、既にモスクワのロシア現代史文書保存・研究センターからコピーで入手している同サブビューロー1,000枚近くの通信文書類の分析を進めた。そのうち、日本社会主義者との通信文書についての分析は終了し、その史料紹介を詳細な解説および注を付けて「日本社会主義者とコミンテルン・アムステルダム・サブビューローとの通信、1919-1920年」にまとめた。それは近く『大原社会問題研究所雑誌』に公表されるが、その中で、従来の研究が一日本人社会主義者の果たした役割を見落としていたことが解明された。 4.他方、北海道大学スラブ研究センターに出張して、コミンテルン・アルヒーフ文書(ソ連共産党文書館旧蔵、マイクロフィルム)を調査し、とくに同ビューロー創設前後の、すなわち1919年3月のコミンテルン創立大会および1920年7-8月の第2回大会の関係文書を数百枚コピーしてきた。目下、それらを同サブビューローとそれに関わった活動家とのつながりに焦点をあてながら分析している。
|