本年度は、デロス同盟初期のギリシア・ペルシア関係に焦点をあてた。とくに長らくアケメネス朝の支配下におかれていた小アジア沿岸部のギリシア諸市が、ペルシア軍のギリシア本土からの撤退とデロス同盟の結成によって、対ペルシア抗戦同盟たるデロス同盟とアケメネス朝に対してどのような態度をとったかについての考察に重点を置いた。その結果、以下の点を指摘した。1.小アジア沿岸部において、島嶼部と本土において態度に大きな差が見られること、2.本土においては、一般にデロス同盟の加盟に積極的な態度が見られないこと、3.その背景にアケメネス朝との長期にわたる政治的・社会的・経済的諸関係が成立していたこと。さらに、こうした小アジア本土沿岸部の諸市の状況に対して、盟主国アテナイが同志として、またイオニア人の祖として加盟をすすめるよりも、むしろ彼らと距離をおくことで同盟を発展させてきたことを指摘した。最後の点に関しては、もう少しアテナイ人、とくに当時指導的立場にあったキモンの持っていたイオニア人についてのイメージについて考察を深める必要がある。また、この時代のギリシア世界とアケメネス朝との人的関係の実態を探るべく、テミストクレスのペルシア亡命の背景を考察した。ここから、両社会の支配者層の間に密な関係が存在していたこと、とくに地理的に接する小アジア本土においてそれが顕著に見られることを指摘した。このような人的関係がデロス同盟への関わり方にどのような影響を与えたかについては、今後の課題でもある。
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