本研究では、ペルシア戦争後のギリシア世界とペルシア世界との関係を再検討することを試みた。とりわけ、50年以上もペルシアの支配下にあった小アジア沿岸部のポリスが、対ペルシア抗戦同盟たるデロス同盟といかに向き合ったかについて考察し、小アジア沿岸部においては、デロス同盟加盟に消極的な態度が顕著であり、加盟にいたるまでにかなりの時間を要したことを明らかにした。具体的には、「ギリシア世界の展開と東方世界」『古代地中海世界の統一と変容』において、ギリシア世界がペルシア戦争前後を問わず、アケメネス朝ペルシアと深い関係を持ち政治的社会的文化的に強い影響を受けていたことを論じ、ついで'Athenian Empire and Persia:Attitudes of the Greeks in Asia Minor to Athens and Persia in the First Years of the Delian League'(口頭報告)において、デロス同盟加盟をめぐる小アジア沿岸部のポリスの動向を具体的に探った。ペルシアとの経済関係が加盟について消極的にさせたという見解を示すとともに、盟主国アテナイがこうした小アジア沿岸部のポリスの態度に嫌気がさし、組織的にも精神的にもアテナイ中心の同盟へと同盟の性格を変質させていったことを指摘した。論文公表するには、キモンの同盟政策についての分析、とりわけデロス同盟とテセウスとの関係についての分析がもう少し必要である。「テミストクレスの亡命」においては、彼のペルシア亡命の過程を追い、ギリシア人エリートとペルシアとの間に直接的間接的に緊密な人間関係が存在していたことを示した。最後に、本研究をとおして、トゥキュディデス『戦史』においても史家の「アテナイ中心的な見方」による事実歪曲のあることが確認された。これについては、新たなテーマで取り組むべきであろう。
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