第二次世界大戦期のフランスで展開された、対独協力と国民革命という一見すると矛盾する政策を両大戦間期以来の連続性の視点で考察している。その際、国民革命をナショナリズムの系譜から、対独協力を平和主義の系譜から分析しているが、現在は1930年代のナショナリズムと平和主義の相互関係を研究している。平成11年度は、30年代フランス・ナショナリズムを担ったいわゆる青年右翼グループの中心人物のティエリー・モーニエについての研究を継続中である。すでに明らかにしてきたように、もともとアクションフランセーズ出身であったモーニエであるが、30年代初頭は、他の思想傾向の同世代の若者たちと、いわゆる非順応主義世代を形成し、政治的、経済的な既成秩序、つまり議会制度や資本主義に対抗する左右横断的思想刷新運動を展開していた。そのモーニエが、1934年2月6日事件をきっかけに、再び(アクションフランセーズ流の)ナショナリズム志向を強め、いわゆる反ファシズム陣営(後の人民戦線派)からファシズムのレッテルを張られる過程を検証した。現在は、特に30年代後半、モーニエがもっともファシズムに接近したとされる37年から38年にかけての時期を実証的に分析している。そこでは、30年代初頭にはナショナリズム陣営と対決していたいわゆる平和主義陣営と、対ファシズム諸国宥和の傾向の中での接近が検証されるはずである。そして、これまで、イスラエル人研究者ゼーヴ・ステルネルの問題提起以来活発になっているフランス・ファシズム論にも新たな一石を投じてみたい。
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