平成12年度は、1930年代フランスの青年右翼グループの理論的指導者、ティエリー・モーニエについての研究を継続した。とりわけ1930年代後半にモーニエがファシズムに接近する状況を、ラロック大佐の「フランス社会党」と比較して検討した。ラロック大佐については、欧米の研究者がファシズムと規定し、フランスの研究者が反発するという、学界での第二次「フランス・ファシズム」論争の様相を呈している。平成12年度の研究では、モーニエの主催した新聞『ランスルジェ』紙と、「フランス社会党」の党員報を詳細に比較検討し、モーニエのファシズム性ならびに、ラロック大佐の保守性を確認した。従来「フランス社会党」の研究では、その機関紙を史料に使って、ファシズム性を指摘されることが多かったが、広く一般向けに編集された機関紙は、当時の体制側つまり人民戦線政府との対立を際立たせるために、ことさらに「ファシズム的」傾向が表れる。しかしながら、党員のみを対象とした党員報の分析からは、他の保守派や極右派との関係でも本音に近い議論が垣間見ることができた。つまり、ラロック大佐は、表向きの過激さとは裏腹に、保守の大同団結こそを実は目指していた状況が浮かび上がってきたのである。さらに、この研究からファシズム論全般にも、保守派に対峙するファシズム派という枠組みの問題提起を行い、同時代の日本の状況との比較も視野に入れた論文を作成した。「ファシズム論の射程〜1930年代の日本とフランス〜」と題したこの論文を掲載した論文集、『近代日本と国際環境(仮題)』(芙蓉書房)は平成13年前半には刊行される予定である。
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