ドイツ、オーストリア、スイスのドイツ言語文化において1898年から1919年までライプチヒ、ウィーン、アーヘン、ザンクトガレン、ケルン、フランクフルト、ベルリン、ミュンヘンなど合計11商科大学が創設された。本研究の課題は(1)商科大学創設の社会史と(2)ディプローム試験合格者の構成分析であるが、平成11年度と12年度は後者の基盤となるデータ収集のため、ケルン、ミュンヘン、フランクフルトにおいて史料調査をおこなった。その結果、ケルンでは1163名、ミュンヘンでは614名、フランクフルトでは105名の試験合格者を確認することができた。ケルンの1163名のうち女性117名、男性1046名。女性の構成比1割はフンボルトの理念による大学(19125%)と比較してはるかに高い。また、マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で問題にした「地域と信仰」の問題をディプローム・カォフマンの事例で分析すれば、1910年のドイツ総人口にしめるカトリックの比率が3割6分であったのに対し、プロイセン住民の「ディプローム・カォフマン」のカトリックの構成比は4割9分であった。こうしたカトリックの商科大学志向はミュンヘンの事例でより鮮明になる。ここではバイエルン出身308名のうちカトリックは218名、構成比は7割1分。これは総人口にしめるカトリックの比率(1910:70.61)に相当し、農業国家バイエルンにおいてカトリックの商科大学志向がきわめて高かったことが分かる。また、性別では女性41名、男性576名。女性の構成比8分はケルンよりも低いがフンボルトの理念による大学の女性構成比より高い。ドイツの商科大学は、それまで高等教育から排除されてきた女性とカトリック教徒に対し、実業教育の次元で高等教育の門戸を開放したといえる。
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