本年度は、日本列島全体について古代の窯業生産地の消長を包括的に比較検討することをおこない、本研究の総括として類型化を試みた。その結果、一郡一窯型、広域型、集約型に分けて、各地の須恵器生産地を扱うことが合理的であると考えた。一郡一窯型は九州を除く西日本から北陸地方で7世紀から9世紀にかけてみとめられ、やや時代が下って、さらに信越・東北地方でもみられた。広域型は、関東地方の須恵器生産にみられるほか、8世紀中葉から各地で国単位に成立する生産地が該当すると考えた。そして、集約型として陶邑窯、牛頸窯、猿投窯、尾北窯、美濃須衛窯、湖西窯を抽出した。8世紀中葉に新たな生産地が成立することと、国府・国分寺への供給との関係が讃岐、播磨、丹波、尾張などで確認することができ、古代末期の生産体制の萌芽として評価できると考えた。 このような生産地の動向は、郡衙遺跡や国衙遺跡の消長とも符合し、郡レベルの生産地と国レベルの生産地として分けて理解することが可能である。両者の動向の違いは、古代の地方寺院の推移からも読みとれ、多くの白鳳寺院が9世紀には衰退する一方、国分寺やそれにつながる寺院がさらに遅くまで継続することが明らかである。これらの事象は、郡が示す氏族制の原理と国が示す官僚制の原理の二重構造として捉えることが可能であり、古代の地方社会の変遷が、窯業遺跡をはじめとする遺跡の消長から読みとれることを示している。
|