近年、日本考古学では、都市の成立にかかわる議論が盛んである。弥生時代の大型環濠集落を都市とみる弥生都市論は、その典型である。本研究でもそのような研究動向を受けて、飛鳥・藤原京、平城京について、都市論の立場から具体的に分析を加えた。 これまでの研究では、条坊制をはじめて導入した藤原京の成立をもって、都市とする意見が強かった。しかし、本研究では、飛鳥・藤原地域の遺跡を詳細に検討することにより、条坊制そのものは律令制や都城制の成立にとっては大きな意味をもつが、都市の成立にとっては、それほど大きな指標とはならないことを明らかにした。そして、飛鳥地域の宮殿・官衙・居宅・集落の配置を検討することにより、都市の成立は、少なくとも藤原京の一段階前の都である飛鳥まで遡ることを明らかにし、さらに遡る可能性を指摘した。 また、藤原京と平城京の宮・条坊や居住形態を具体的に比較して、藤原京のもつ未成熟な側面を明らかにした。 本研究では、飛鳥・藤原京、平城京を比較検討することにより、条坊という方格地割を取りはらった都市論の重要性を認識するところまで研究を進めることができた。しかし、その成果から、さらに一歩踏み込んだ研究は、十分におこなえたとはいえない。この点は反省点であり、今後の課題ともいえる。 また、飛鳥、藤原宮・京、平城宮・京での廃棄物処理の問題に検討を加えるべく、各宮都における土坑資料の集積をおこなった。しかし、資料上の制約や数量的な処理の問題などから、具体的に各宮都間での比較をおこなうことができず、十分に問題点を深めることができなかった。さらに、平城京における宅地の問題を考えるべく、調査資料の集成をおこない、建物配置の変遷のもつ意味についての検討を意図したが、建物配置の変遷の類型が抽出できたにすぎず、建物配置がなぜ変化するのかという、当初意図した問題点には、具体的に迫ることはできなかった。この二つのテーマについては、分析手法も含めて、さらに検討を加え、今後、何らかのかたちで、その成果をまとめたいと思う。そこで、資料集成などの成果を今回は収録しなかった。
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