今年度の研究成果は下記の論文二点と、資料翻刻一点である。 研究論文の一は「詩章「春と修羅」の構成-《第二集》の詩群との対比を念頭に-」(「論攷宮沢賢治」五号中四国宮沢賢治研究会編43〜58頁二〇〇三年<平成十五年>一月)である。 これは昨年度の研究と併せて、『春と修羅』(第一集)の冒頭詩章「春と修羅」所収の作品群を、《春と修羅第二集》冒頭の四詩群と比較考究したものである。今年度は詩章「春と修羅」冒頭の四篇(「屈折率」「くらかけの雪」「日輪と太市」「丘の眩惑」)と《春と修羅第二集》冒頭の五輪峠紀行詩群(〔湧水を呑まうとして〕「五輪峠」「丘陵地を過ぎる」「人首町」)の対応につづく部分において、二つの詩集がどのように関連を持つかを吟味し、結論として、一部にイレギュラーな対応があるものの、両者が類似の構造を持ち、シンメトトリカルな展開を示すことを明らかにした。 研究論文の二は、「宮沢賢治・封印された『慢』の思想-遺稿整理時番号10番の詩稿を中心に-」(「国文学攷」第一七六・一七七号合併号広島大学国語国文学会編39〜50頁二〇〇三年<平成十五年>三月)である。『春と修羅第三集』及び『口語詩稿』の作品の中に遺稿整理時番号10が打たれている詩稿があり、黒クロース表紙Eの表紙裏にも、同じゴム印10が5カ所押されていて、その力紙に「この篇みな/疲労時及病中の/心こゝになき手記なり/発表すべからず」とメモされている。これらの点から、この10番稿を封印された詩稿と捉え、詩稿が封印された理由を考察し、これらに詩人自らの「慢」の思想が投影されているためであることを明らかにした。これはまた、作者が自己否定した作品をみることによって、作者の最晩年の思想状況を明らかにすることになった。 資料翻刻は、保阪嘉内『短歌日記』である。これは、直接的に作者の詩歌観についての資料ではない。しかし、保阪嘉内は作者が盛岡高等農林に在学中、最も濃密な交流があった友人であり、彼が盛岡高等農林に入学した年の短歌日記である。これは作者と保阪嘉内との交流の実態を明らかにする貴重なものであると同時に、宮沢賢治達が在学中に発行した同人誌「アザリア」の前夜の様相を知る貴重な資料であり、その初めての全文の翻刻である。
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