本研究は、『正法念処経』などに見られる「帝釈天と阿修羅との闘諍譚」や『仏鬼軍』・『強盗鬼神』などとの構想の類型性、『鹿野苑物語』・文保本『太子伝』・真名本『善光寺縁起』などとの表現の類型性に留意しつつ、『無明法性合戦状』と『鹿島合戦』とを詳細に比較検討することから始発し、当代東国における真宗教団や鹿島神人の動向と照らし合わせながら、『無明法性合戦状』と『鹿島合戦』の生成・展開について考察し、東国における唱導文芸の営みの一端を明らかにすることを目的とするものである。 研究期間2年のうちの初年度である平成11年度は、『無明法性合戦状』と『鹿島合戦』の基礎的調査、及びそれに基づく比較検討を中心に研究をすすめた。中でも『鹿島合戦』の基礎的調査に多くの時間を割いた。というのも、研究計画立案時に把握していた三伝本に加え、新出伝本を確認したためである。既に把握していた三伝本は、上州高崎と信州善光寺近在に伝来したものであり、常州鹿島から上州を経て善光寺を結ぶルート上に生成・展開圏を想定していたが、新出伝本は奥州栗駒周辺に伝来したものであり、奥浄瑠璃としても語られていた形跡がある。中世後期に鹿島信仰・善光寺信仰が奥州へ伝播・定着していたことは既に指摘されているが、奥州伝来の新伝本を確認できたことは、本研究に新たな視座を提供した。 『無明法性合戦状』が常州の真宗寺院である枕石寺に伝来したものであること、『久能寺縁起』中に「無明法性合戦物語が奥州で語られた」と記すこと、『鹿島合戦』に登場する東国に鎮座する神々が信州の真宗寺院で書写された『神本地之事』の記述と通うこと、等々と併せ、平成11年度の基礎的調査・検討の成果を基盤として、次年度は『無明法性合戦状』と『鹿島合戦』の生成・展開について詳細に考察を加える予定である。
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