2年間にわたる調査・研究・討議の結果、中世文学における「敗者」像の生成と表現、その歴史的事実と文学への階梯、「敗者」像の変容と享受について、多くの知見と成果を得ることができた。 今回の研究では多くの文献を収集・調査したが、中でも特に注目すべきものは、2つのこれまで未紹介の新出資料である。すなわち、西蓮書状5点(これは原本は既に所在不明であるが、写真などが東京大学史料編纂所にあることが判明した)、及び曲舞(くせまい)「隠岐院」(隠岐での調査において発見されたもの)である。これらの翻刻・紹介・位置づけについては、研究成果報告書(冊子体)に掲載の論文で行ったが、いづれも「敗者」の歴史と文学を考える上で、極めて重要な資料である。このほか、滅亡した敗者を中心に諸行無常を語る『平家物語』が巨大な存在となるに至るまで、そこにはどのような離陸の過程があったのかを、主として和歌史の方向から探った論、『平家物語』が形成される直前の時代に生きた「敗者」の帝王後鳥羽院が、時代の公的な歴史認識を示すところの勅撰集の中で、どのように享受・変容していくかを考察した論、また長門本『平家物語』の和歌の摂取を含めて、享受史の側から『平家物語』を捉えた論など、別紙のような多くの成果が結実するに至った。また、併せて、戦乱に敗れた者たちを含めた人々の「隠遁」という視点からも考えようと試みた。こうした諸論から、「敗者」を文学の中心に据えていくまでの文化と歴史的意識の変遷を、さまざまな側面からあぶり出すことができたと思う。
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