一九二〇年代のアメリカ南部文学は、産業的・制度的停滞の中にあって、ヨーロッパのモダニズムを積極的に吸収する新思潮の台頭と(=主として一年めの資料収集・研究)、南部(白人)の貴族主義的伝統に依拠しつつ文学世界の自律性を主張する新批評の勃興によって基本的には特徴づけられる。だが他方、南部はこの間、黒人住民の北部へのいわゆる「大移動」(=主として二年めの資料収集・研究)や、二〇年代末の大恐慌など、大規模な変動のさなかにあり、それらが多様な文学的成果を生み出すことによって、なかなかに方向を定着させえない混乱状態を呈した。この時代の南部文学は、そうした混乱を不安や絶望として受け止めなおす個々の作家の文学的感性や能力に、結局は依存するところが大きかったが、そうした不安や絶望は、残存する貴族主義的伝統と現実の変動・混乱とをまともに引き受けている点で、もっとも率直な時代の反映であったとも言うことができる。こうした事情から、故郷の風土に執着しつづけたウィリアム・フォークナー、故郷を脱出して南部について書くことを好まなかったトマス・ウルフ、激烈な南部批判の文化史をものして文学創作を捨てたJ・J・キャッシュの三人は、それぞれ独自の見識において南部の変動と混乱に鋭く反応した作家たちだったと言うことができ、今後の南部文学研究において、通常それぞれ成功した大作家・失敗した作家・多分に文学的な文化史家として区別されているかれらを、今や同一の南部史的展望において再評価する必要とその可能性が痛感させられることとなった。なお、二年めの研究においてアメリカ南部文学を専攻する田村理香氏の参加を得たので、ともに研究成果を刊行した。
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