19世紀初頭のエディンバラは「北のアテネ」として、その文化的な洗練を誇った。それをもっとも鋭角的に示しているのが英国(スコットランド+イングランド)の社会と文化のありように圧倒的な影響力を行使した『エディンバラ評論』(1802年創刊)である。1817年に創刊された『ブラックウッズ・マガジン』はその先行雑誌のホイッグ的なイデオロギーに対抗するトーリー主義を体現するが、これまでのこの時期における『季刊評論』を含めた雑誌研究の基本的な方向が、そうしたいわば高級文化のディスコースの枠内で捉えられていたのに対して、本研究は『ブラックウッズ』の錯綜した創刊事情を明らかにするために、背景に人気詩人/作家たるスコットをおいた場合の出版業界の人間関係--そこではブラックウッドとコンスタブルの対立が中心となる--を探りつつ、具体的には、創刊時に耳目を驚かせ、この雑誌の人気を決定づけた「カルデア文書」に注目し、そこにこめられた時事的なアリュージョンとトーリー・イデオロギーの関連を明らかにすることを目指した。 そこで明らかになったのは、ロックハートやウィルソンの志向する洗練された都会趣味と、ホッグの体現するいわゆる「低級/大衆/庶民」と結びついたスコットランド土着文化との葛藤と融合の微妙な関係であり、それは同時に「文化都市」エディンバラとイングランドの分化覇権といかに向き合うかというスコットランドの問題の現れとして捉えることができる。本研究は伝統的な文学研究と新興の文学研究の領域という点にも自覚的であったつもりだが、上記の輻輳する問題点は1820年代後半から30年代にかけての『ブラックウッズ』の人気連載『アムブローズ館夜話』に鋭く前景化されており、その追求は今後の課題となった。
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